宅急便の発展が生活を便利に
宅急便とは、ヤマト運輸が提供する宅配便サービスの商品名である。クロネコをトレードマークにしている。
元々、当時の大和運輸(現・ヤマトホールディングス)は三越や松下電器産業(現パナソニック)などの専属配送業者であったが、1960年代、全国に高速道路が整備され他社が長距離運送に参入していく中で大和運輸は乗り遅れ、ここにオイルショックが重なり、経営危機が噂されるほど業績が低迷した。
当時、個人が荷物を送るには郵便局に持参する郵便小包(現在の「ゆうパック」)があったが、重量は6kgまでであった。一方鉄道を利用する「チッキ」という制度があり、こちらは30kgまで送れたが、差出はしっかりと梱包し紐で縛って小荷物取り扱い駅に持参し、受取人は駅に取りに行かなければならないという制度であった。どちらも現在のように一つ一つの荷物を番号管理もしておらず、いつ届くのかさえわからないサービスであった。この状況を見て、サービスを向上させて参入すればライバルは存在せず、必ず成功すると確信した。
そして、1975年の夏「宅急便開発要項」を社内発表、若手社員を中心としたワーキンググループが新商品開発を進めた。1976年1月20日「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というコンセプトの商品『宅急便』が誕生した。1日目の取扱量は11個だったが、その後急速に取扱量が増え、日本通運など他社も同様のサービスを開始した。その後も営業地域の拡大を続け、1997年の小笠原諸島での営業開始をもって、離島を含む全国展開が完了した。
2010年より東アジア及び東南アジアでの宅配便業界へ進出を始め、1月にはシンガポールと中国上海で事業を開始した。すでに開始から10年を経過している台湾を含め、今後はマレーシア、インドネシア、タイ、ベトナム、香港、北京などへの進出が計画されている。海外での名称は「TA-Q-BIN」としている。漢字圏では「宅急便」という名称も表記していく予定であるが、日本発ブランドとして差別化する意味もあり読み方として「TA-Q-BIN」も併記している。
現在では、駐車禁止の規制強化とエコロジーの両面から、都心部では数kmおきに営業所を設置、営業所までトラック輸送した後、そこから先は自転車で配達している。それ以前からも東京銀座地区など都心の一部ではリヤカーで配達している。